HISTORY
坂口憲二の芸能界引退とコーヒーとの出会い
2012年、充実した俳優人生を歩んでいた坂口憲二の体に突如異変が訪れた。股関節に出始めた痛みは徐々に増し、やがて歩行すらも困難な状況となった。検査の結果、発覚した病気は特発性大腿骨頭壊死症という原因不明の難病であり、結果として坂口は俳優の仕事を断念せざる得なくなった。
病気と向き合い、受け入れるまでは時間がかかったが、坂口は前を向き始める。今まで生活の中心であった俳優の仕事も減らし、これからの人生を考え直した。
「芸能界という敷かれたレールを歩むのではなく、これからの人生は自分の手で切り開いていくような生き方をしたい。今までのキャリアで培った経験を活かして、自分にできることが必ずあるはずだ」と新たに情熱を注げるものを探していた。
坂口は2014年にオレゴンのポートランドを訪れた。街には大きなコーヒーチェーンから自家焙煎している小さなコーヒーショップまで立ち並び、コーヒーが文化として溶け込んでいた。坂口はその世界観に心を奪われた。
この出来事が坂口がセカンドキャリアとしてコーヒーを選ぶきっかけとなった。
バリスタ成澤敬介との出会い
コーヒーに興味を持った坂口は、帰国後にコーヒー豆を取り寄せ、自分で淹れてみたりしてみた。コーヒーの楽しさに触れることができたそんな折、「バリスタからコーヒーの淹れ方を学べるプライベートレッスン」が返礼品として設定されたコーヒーショップのクラウドファンディングの企画を目にする。「これだ」という直感を元に申し込んだ。
そこで講師を担当していたのがThe Rising Sun Coffeeを後に共に立ち上げるバリスタ成澤敬介だった。
セミナーではスペシャルティコーヒーという概念からカッピング・抽出・焙煎に至るまでコーヒーの「いろは」を体系的に学んだ。今まで好んで口にしてきたコーヒーの世界の奥深さに触れた。
全12回のコーヒーセミナーでは足りず、プライベートレッスンを追加し、坂口は成澤の元に毎週のように通い続け、コーヒーについて学んだ。
焙煎士というセカンドキャリアとThe Rising Sun Coffeeの誕生
成澤に師事したコーヒーセミナーの中で坂口がとりわけ興味を持ったのがコーヒ豆の焙煎であった。自ら焙煎機を購入し、コーヒー豆を焙煎する日々が始まる。
脳裏には徐々にセカンドキャリアの輪郭も見えてきたタイミングでもあった。坂口は自ら店に立って、コーヒーを淹れるという姿にはイメージが持てなかった。今まで表舞台に立ってキャリアを歩んできたが、これからはものづくりや裏方としての自分の役割をイメージしていた。
日々試行錯誤を繰り返す中で坂口は焙煎する面白さに益々没入していった。豆の種類・配合や焙煎度合い、使用する機材によって全く異なるコーヒーが出来上がる。坂口はコーヒー豆をローストする焙煎士を自らのセカンドキャリアとして選ぶこととなる。
毎回焙煎したコーヒーは一人では飲みきれない。そこでサーフィン仲間にコーヒー豆をプレゼントして飲んでもらった。友人に喜んでもらえるのが嬉しく、「海上がりに美味しいコーヒー」を作り始める。
少し口の中に塩っ気が残っているようなサーフィンの後には、程よい苦味と甘みがあり・コクのあるコーヒーが良い。ブラジルとケニアの豆を混合し、深煎りで焙煎する。改良を重ねて生まれたのが今でも看板商品となっているAfter Surf Blendである。
THE RISING SUN COFFEEの離陸
坂口の焙煎したコーヒーはサーフィン仲間の中で口コミとして広がっていく。コーヒーを置いてくれるサーフショップも出始め、オンラインストアでの販売もひっそりとスタートした。
サーフィンと結びつきのある音楽やファッションがあるように、サーフィン × コーヒーというカルチャーがあってもいい。COFFEE & SURFINGというコンセプトが少しずつ形になってきたタイミングでもあった。
2018年夏、焙煎機を新たに購入し、坂口は自身が足繁くサーフィンに訪れる九十九里に小さな焙煎所を作った。美しい日の出を見ることができる九十九里で焙煎されるコーヒーブランドとして、The Rising Sun Coffeeと名付けた。
都内コーヒーショップでバリスタとして活躍していた成澤もThe Rising Sun Coffeeにジョインすることとなり、自分たちのコーヒーショップを持つための準備が整う。そんな中、都内に昔ながらの趣を残す新宿区の外れに小さな物件が見つかる。2019年春、ここにTHE RISING SUN COFFEEの第1号店がスタートした。
最初はあえてプロモーションもかけず、お店の住所も非公開で営業をスタートした。まばらだったお客様もSNSと口コミで知る人ぞ知るコーヒーショップとなった。坂口が嬉しかったのは、サーファーをイメージして作ったコーヒーを地元で買い物帰りに買っていただいたお客様にも「おいしい」と喜んでもらえたことだった。自分で作ったものを自分たちで販売し、お客様からダイレクトに反応をいただけることにこの上ない喜びを感じた。
ある時、芸能界を引退した坂口がコーヒーショップを営んでいることを紹介する記事のリリースで、The Rising Sun Coffeeの名が多くの人に知られることになった。インターネットのニュースメディアでもクローズアップされ、オンラインストアの注文が鳴り止まなくなった。当時オンラインストアの注文はまばらだったため在庫設定をしておらず、在庫量よりもはるかに多い受注を受けてしまい、お客様にご迷惑をおかけしてしまったことは今となっては思い出話だ。
ひっそりと仲間内で飲んでもらっていた坂口のコーヒーが、多くの人に楽しんでいただける商品となった。
大網白里への店舗出店と焙煎所の移設、そしてこれから
坂口と成澤はプライベートでもサーフィンに訪れる九十九里の地でコーヒーショップを作りたいと考えていた。2021年のある日、大網白里市にあるサーフショップBONSオーナーであり旧知の仲であった横内氏より、「自分たちのお店の隣が空いたけど、ここでコーヒーショップをやらないか?」と誘いを受けた。
外壁にCOFFEE & SURFINGというブランドコンセプトの大きなロゴをあしらい、美味しいコーヒーとこだわりのオリジナルグッズを並べたお店が出来上がった。店内にはコーヒーの香りが立ち込め、サーフィンに訪れた人や地元の人が気軽に美味しいコーヒーを飲める場所となった。県外からも多くのお客様が大網白里に訪れている。
九十九里に坂口が最初に作った焙煎所だけでは生産が追いつかず、2024年には今後の成長を見越して店舗に近い大網白里に焙煎所移設した。古くからあるプレハブづくりの建物を自分たちらしく改装し、中には新しい焙煎機も追加導入した。また、都内にあった配送拠点も大網白里の焙煎所に併設とした。毎日必要な量を焙煎し、新鮮な豆をタイムロスなく、店舗やお客様にお届けできる体制が整った。
ゆくゆくはこの焙煎所に併設したカフェ・飲食・アパレルなどを扱う複合店舗の構想もある。The Rising Sun Coffeeとしてお客様にMORE BETTERなライフスタイルを提案できるスポットにしたいと坂口・成澤は語る。
坂口がポートランドで感銘を受けたコーヒー文化。The Rising Sun Coffeeも、コーヒーを口にしていただいたお客様が何かを感じていただけるようなコーヒーショップでありたい。
そしていつの日か、LAND OF THE RISING SUN(日出る国 )と呼ばれる日本で作られたコーヒーを世界中の人々が楽しんでくれる世界を夢見て。